2012年9月8日(土)に京都女子大学を会場として、若手交流セミナー【西洋中世学の伝え方─「薔薇の名前」の世界を語る─】が開催されました。以下では簡単に当日の概要について報告します。
若手交流セミナーの基本コンセプトは、西洋中世学を実践する若手が専門分野を越えて相互に交流を深める機会を提供するというものです。そのために今回のセミナーでは、西洋中世学の研究成果を学生にいかに伝えるかという教育手法に関するテーマを設定しました。具体的な内容としては、ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』(あるいはジャン=ジャック・アノー監督の映画“薔薇の名前”)を用いて授業をする場合、西洋中世世界をどのように語ることができるかという切り口で、前半のトークセッションにおいて、歴史から3名、哲学史から1名のスピーカーに高校から大学にかけての授業を想定した内容でお話いただき、後半のラウンドテーブルで、前半の各報告内容を踏まえた議論を行うことにしました。その際、院生など「若手」が発言しやすい雰囲気作りの一環として、フロアディスカッションではなく、ラウンドテーブルの形式を選択しました。
当日は「若手」に限らず、さまざまな年齢・立場の方々にご参加いただきました。当初の想定を越える44名の参加者を得たため、後半のラウンドテーブルは全体討論というかたちではなく、7~8名程度でグループを組み、グループワークとして西洋中世世界を生徒や学生に伝えるにはどのような手法が有効かについて話し合っていただきました。フロアディスカッションなどではなかなか発言しづらい若手も、少人数のグループを組んだことで積極的に討議に参加していただけたようです。また、若手のなかには授業の経験がまだない院生もいましたが、教育経験の豊かな先生方にアドバイスを受けながら、これからの授業のあり方について議論することもでき、有意義な場となったように見受けられました。
ディシプリンを異にする若手の相互交流という基本コンセプトについては、今回は歴史と哲学史という二分野の交流がメインになりましたが、切り口を変えれば、文学・美術・音楽・建築などいろいろな分野とのつながりを模索できる可能性も大いにありそうです。
なお、当日のプログラムは以下の通りです。
□ トークセッション(13:00-15:45)
<歴史>
・倉田有里(桑名北高等学校)「『薔薇の名前』で考える「異端」のとらえ方─高校世界史の場合─」
・上田耕造(関西大学非常勤講師)「『薔薇の名前』から読み解く中世の知とキリスト教会」
・村上司樹(大阪市立大学研究員/摂南大学非常勤講師)「修道院の時代─『薔薇の名前』に中世を読む─」
<哲学>
・山口雅広(関西大学非常勤講師)「『薔薇の名前』─哲学の立場から見てみると─」
□ ラウンドテーブル(16:00-18:00)
また、当日の参加者の声として、以下のアンケート結果も合わせてご覧いただければと思います。
西洋中世学会「若手交流セミナー」(2012年9月8日)アンケート結果
1. 同じ『薔薇の名前』でも原作の小説と映画では内容が異なるので、どちらか一つに的を絞っても良かったかなとも思います。「西洋中世学の伝え方」と「西洋中世の伝え方」は違うと思いますが、どちらだったのでしょうか? 文学的なアプローチがなかったのが残念です。
2. 個人的にどうすればより興味や関心を持てる講義が行えるか日々悩んでいたので、今回のセミナーは大変勉強になった。とくに後半のワーキンググループは話題が百出で盛り上がった。発表者の皆さんの報告も興味深いものだったが、模擬授業なのか、報告なのか、教育実践のアイデアなのか、あいまいな印象を受けた。「これは報告である(模擬授業である)」等、はっきり明示して欲しかった。
3. 今回の各報告でも高・大学教養・大学専門と様々な学生を対象としたものがありましたが、高校でも進学・非進学の違いや教育機関外での市民セミナー等、西洋史を教える/語る際にはまず聴衆を考え、それに応じた語りを考えなければならない点を改めて意識させられ、時間的制限などの困難を感じました。複雑な要素を含む小説を、分かりやすく一般にアピールする映画に構成し直す脚本家の仕事や聴き手の関心に合わせて臨機応変に話す説教師の活動にも思いを馳せた次第です。
4. 門外漢なので緊張しましたが、ラウンドは非常に有意義でした。話し合いは1時間程あるとよかったです。ありがとうございました。意見交換のできるセミナーであればまた参加したいと思います。高大連携(教育)のセミナーを希望します。
5. 同じ題材を用いて、各立場より「伝え方」、生徒・学生へのアプローチは大変興味深いセミナーでした。倉田さんの報告にありましたロールプレイは、是非実践してみたいと思いました。情報が多様化する今日で、生徒たちは膨大な情報の中から、必要なものをピックアップして正しく使うことが求められます。改めて、教育、伝えることの意義の重要性を考えさせられました。本日はありがとうございました。
6. 構成が一連なりになっていて聞きやすかったです。またワークショップでの意見が多岐に渡ったことからもテーマ設定もよかったのではないかと思います。最後に、皆様お疲れ様でした。
7. 発表者に質問できる時間が欲しかった。いくつかコメント、質問あり。
(当日にアンケートを記入していただく十分な時間を確保できなかったため、メールでも感想をお願いしたところ、6名の方から回答をお寄せいただきました。)
1. アンケートの代わりとしまして、「西洋中世学の伝え方」について以下に記しておきます。
自身が文学畑にいることもあり、フィクションを資料として扱うことには普段から馴染みがあるのですが、「史実としての西洋中世」を伝える際にフィクションを用いる場合、史学畑の方々はどのようになさるのか、セミナー参加前から興味を持っておりました。
結果、やはり自分で十分な時代考証を行っておかないと、教育対象となる相手にはイメージをリアルとして認識されてしまう恐れがあることから、フィクションを使うには注意が必要という意見を多く耳にしました。
ただ、ウェブスターの『あしながおじさん』(1912年) のように、20世紀初頭のアメリカの女子学生の生活を詳細に記した資料として使えるフィクションもありますので、もし『薔薇の名前』が14世紀に書かれた作品であったとしたなら、同時代の修道院の生活を知るには有益な一史料となることでしょう。
構築主義の観点から申し上げますと、たとえ史料やフィクション等で十分な時代考証を行っていたとしても、「西洋中世とは、こういう世界だ!」と、学習者に説くのは、個人的には憚られてしまいます。教師自身も西洋中世の世界を現に見てきたわけではない以上、本質的に「こういう世界だ」とは断言できないはずです。もし自分が授業を行うとしたら、教師が一方向的に情報を伝えるのではなく、学習者と共に西洋中世を考え、史料やフィクションに散りばめられた情報から西洋中世世界を再構築するような、双方向型の学びあい授業を組み立てることでしょう。
その点では、倉田さんのように授業でロールプレイングをするなど、学習者参加型で時代考証をするという授業が最も自分の理想とする授業に近いように感じました。教師自身は協同学習者となり、進行役となり、学習者の意見を引き出す存在として授業に臨みます。よって、私は西洋中世を「伝える」ことはしません。西洋中世を学習者と一緒に考え、共に歴史の世界を感じとっていきたいと思います。
長くなりましたが、昨日の研究会の感想でした。またこのような若手交流セミナーがございましたら、是非参加させていただきたいと思います。
2. 普段は研究からは離れた場に身を置いておりますが、先生方の議論の中に加えていただくことで、大変有意義な時間を過ごすことができました。高大連携の重要性も叫ばれる中、今後もこのような教育に関するセミナーや講演がありましたら、またぜひ参加させていただきたいと思います。先生方の今後のご活躍をお祈り申し上げます。
3. 京都での開催だったので、友人たちも参加するかと思ったら会場に知り合いの先生が一人しかいないという状況だったのですが、ラウンドテーブルでは初対面の方々と大いに盛り上がり、懇親会に飛び入り参加してしまうほど若手の方と交流することができました。
他学会での若手向けセミナーにも参加したことがあるのですが、講演を聞いて質疑応答、という形のものばかりでした。しかし今回のものは、グループワークを通じて聴衆同士が積極的に「交流」することができたので、非常に有意義だったと思います。
4. 先日は楽しいひとときをありがとうございました。秋にじっさいに『薔薇の名前』を上映して授業を進めようと計画している者からすると、どの発表も非常に示唆に富み、「なるほど、これは使える、こうやってみよう」と思えることばかりで、参考になりました。重ねてお礼申し上げます。
ただ、後半の「グループワーク」については、それ自体は意義あるものであったのですが、多くの学会で通例であるような、壇上に発表者が並び、それぞれ、もしくは個別に質問を加える時間がなかったのは残念でなりません。前半の個別発表の後では、ごく簡単な事実確認かコメントのみで、より突っ込んだ質問や、複数発表者に共通する、もしくは全体にかかわる質問、コメントの機会がありませんでした。
グループに回ってきた発表者はひとりだけで、ほかの発表者と話す機会はありませんでしたし、個別でなく、上記のように共通して聞きたい、あるいは発表者相互でお互いどう思ったかなどを聞くことができませんでした。
たとえば、前期授業でも別の作品ですが、映画を上映して学生に感想を書かせつつ授業を進めた立場からすると、フィクションと史実のかかわりをどう教えるかの問題は大きく、それぞれに傾向の異なる発表者全員のコメント、あるいはほかのフロアの方の意見など、全体討議の時間がほしかったです。フィクションと史実のかかわりについては別のグループのまとめでも言われていましたが、それへの各発表者の意見はどうだったのでしょうか。
フィクションと史実ということでいうと、今の学生は『戦国バサラ』などのゲームで歴史を好きになったという者が少なくありません。ちなみに、私の前期の一年生向け「歴史学通論」のレポート・テーマは「フィクションと史実の相違について述べよ」というもので、マンガ、ゲームも可としたところ、数多くの学生がマンガとゲームを素材にしてきました。安易なものも多いですが、それなりに資質をうかがわせるレポートもあり、「若手」のみなさんがこのような趨勢にどう向き合っておられるかも知りたいところです。
*ところで、みなさん、著作権問題はどう対処していらっしゃいますか? DVD上映、ダウンロードなどで授業内で処理だとばれずにそのままですが、あちこちの場面を切り貼り引用して報告書や論文にでもするとなれば、とたんに難しいことになるのですが。下世話ですが、これが一番聞きたかったです。
5. 西洋中世を学生に伝える時に映画を使うことは、有効な手段の一つだなぁと、最初は漠然と思っていました。しかし、3名の方のご報告とワークショップを通じて、使う側にしっかりとした知識を求められること、西洋中世の人々には、現代の日本人とは異なる信仰という背景があることに留意しなくてはいけないなど、たくさんの考えなければいけない点があることを気づかされました。
挙手して質問したり感想を言う形より、ワークショップという少人数のグループで議論する形式の方が、自分の考えを話させて頂きやすく、良かったです。あっという間に時間が過ぎました。私はまだ学生に授業をしたことがありませんが、今後授業をする機会をいただいた際には、今回のセミナーでの体験を生かしたいと思います。
最後になりましたが、このような有意義なセミナーに参加する機会を設けてくださり、本当にありがとうございました。
6. セミナーのまとめに於いて、大学教員と高校教員との対話の意義に言及されていましたが、まったく同感です。
学生の学力低下は、高校教員と大学教員双方の共通認識であり、グループディスカッション後の総括では、大学生が歴史へ関心を持てるよう、その前提となる予備知識の蓄積を高校ですべきだ、という趣旨の発言もあったかと記憶していますが、他方、高校では、歴史への関心を喚起するような授業よりも受験対策を優先せざるを得ないという現状があります。
個人的には、皆さんの意見を聞いて、学生の学力低下という問題は、大学教員が高校へ、高校教員が大学へ出前授業をするといったレベルを超えて、もっと双方が一体となって取り組まなければならない問題だと感じました。それゆえに、高校教育と大学教育に携わる人間が、互いの現状を示して、問題点を指摘し、その改善に向けて建設的な議論をする場というのは、非常に大事であるし、不可欠であると思います。今回のセミナーはその第一歩として、大変有意義だったのではないでしょうか。
また、映像を授業で使用する難しさも感じました。総括の際、『薔薇の名前』だけではイメージが偏るから、併せて『ヴェニスの商人』なども見せた方がいいのでは、という意見が出たかと思いますが、確かに、映像は、文字よりもはるかに記憶に残りやすい分、使い方を間違えば、誤ったイメージを植えつけかねない危険性を孕んでおり、それゆえ、使用の際には常に細心の注意を払わなければならない、まさに、『薔薇の名前』を使用する人間は誰よりも『薔薇の名前』に精通している必要がある、というのはその通りだと思いました。
以上